ますひろさん備忘録

ますひろさんが暇な時、やる気のある時にブログを記します

4年間働いた職場を後にし、再就職先で身も心もボロボロにされたお話

ますひろです。

 

毎日お疲れ様です。

 

今回は、自分が今年の4月で再就職した時の話をしようと思います。

 

長くなると思いますが最後まで見ていただけると嬉しい限りです

 

1.再就職活動

2016年の4月から高卒で日本製鉄の構内にある会社に4年間務めていました。

2019年5月、会社から来年4月に事業撤退を言い渡されました。事実上の生産終了でした。

550人あまりの従業員は全員、会社からの斡旋か自分での再就職の道を余儀なくされました。

 

また自分自身、ADHD(注意欠陥・多動性障害)を持っており、今はなんとかやれてるけど、次の職場を見つけたとしてもなんとかやって行けるんだろうか、とかなり不安になっていました。

そんな状況になった自分が選択した道は、自分での再就職でした。

また、会社では電気保全を担当しており、電気に関しての知識に興味を持つようになっていたため、今後も勉強していきたいと考えました。そして仕事を探した結果ひとつの電気系の工事を主としているプラント会社を見つけ、応募し採用、なんとか4月からの仕事先を確保することに成功しました。

 

リクナビNEXTから抜粋
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こうして晴れて採用になり、3月の終わりまで仕事をし、間を大きく開けることなく4月に再就職することに成功したのです。

 

しかし、ここからが問題でした。

今まで大企業の恩恵を受けて働いていた自分には考えられない事の連続でした。

 

2.入社~1ヶ月半

今年の4月1日、再就職先の会社に初出勤です。

そして出勤し、簡単な挨拶をし、これから上司、先輩となる人達に挨拶をしました。

 

この会社には営業部、工事課、設計課の3つの部署に分かれており、自分は工事課への配属でした。

工事課にはT課長66歳、S係長50歳、D主任50歳、M社員37歳の4名がいました。

4人に挨拶をするのですがT課長、D主任はちゃんとよろしくなりなんなりちゃんと返してくれましたが、他のふたりは

ますひろ「今日からよろしくお願いします!」

S係長「うぃ」

ますひろ「よろしくお願いします!頑張ります!」

M社員「(顔すら合わせず無視)」

 

えっ、そんな薄い反応なの?と率直に思いました。適当な返事、挙句の果てには無視…新入社員に対してする態度とは思えませんでした。普通なら何かしらよろしくなり返すと思うんですけどそんなもんなの?

 

初日は何かしら自分の書類とか書くものとか書いたりやる事あると思ってたんですけど、ほぼ完全放置。周りも自分の事で手がいっぱいで相手すら全くしてくれませんでした。

そんな事ある?そのまま定時の17時30分を迎えました。

 

入社して2日目、書類の説明や社内の倉庫等の説明を受け、定時間際になってS係長から

S係長「明日金曜日、定時の後に課内会議があるから定時前までに来週の教育予定を聞いてスケジュールをまとめておくこと」

ますひろ「定時の後にやるんですか。時間外にやるんですね」

S係長「現場で作業する訳じゃないから残業にはならないけど」

 

?????

正直何を言ってるのか全く分かりませんでした。定時の後に会議するのに残業にならない?どういうこと?

そうして金曜日になりました。

教育の担当は部長だったので聞いたところ、スケジュールは今検討中なのでそのように工程表に書いてください。

正直、社員来ても教育スケジュールできてないの??って感じでしたがそのままスケジュールを組みました。

 

そして、課内会議当日の定時の後になりました。まだ1人帰ってきておらず人がいないままやるのかと思いきや、全員帰ってくるまで待つということでした、いつ帰れるの?

定時になってから社員は工程表を書き出しました。定時の後に会議があるのに定時以降じゃないと工程表書かないってどういう事よ?

 

そして全員帰ってきて、工程表を書き終え会議が始まったのは18時30分、既に定時を1時間超えています。

そして会議では各人のスケジュールを喋っていきます。

そして自分の番

ますひろ「来週は新入社員教育を受ける予定です。教育スケジュールについては部長が月曜日にまとめて出すとのことでした。」

だってこれしか言えないじゃん?ところが

T課長「来週にならなわからんってどういう事なの?そんなんじゃお前今後の仕事なんてできないぞ?自分でも少し考えんかい」

 

なんじゃこのジジィ?

いや教育スケジュール自分で考えるって何?前も後ろもわからん人間にそんなこと言うんですか?いやどういう事???

ということで教育スケジュールを月曜日までに考えて組み直せということになりました。

 

こうして会議が終わりようやく帰ることになったのは19時30分、会議は残業にならないので2時間サービス残業です。何この無駄な時間?

そしてT課長からこんなことを言われました。

T課長「来週から朝30分早く来て社内の駐車場と外の掃除をすること。課の人間全員が現場ない時はやってるのでお前もやる事」

なにそれ?それ朝30分早く来てやる必要あるの?

 

既に自分にとって意味が分からない事がたくさんでした。

 

そして次の週、教育スケジュールを組みました。しかし、課の人間は全員現場で社内におらず部長任せでした。(そもそも部長は営業部であり、工事課ではない)この週は部長の指示で66歳S社員が入院から復帰し現場に出るまでの1週間自分について教えてくれることになりました。

入社して3週間目、部長の組んだ教育スケジュール通りに教育を行う…のかと思いきや部長は別の事をやり、ほとんど教育してくれませんでした。ほぼ全ての時間が「自習」です。

 

それが新入社員教育?ほんとに言ってる?

 

4週間目から1ヶ月はD主任の現場がコロナで停止したとの事で新入社員教育の担当になりました。ようやく教育らしい教育を受けることになりました。

しかしD主任は新入社員教育の経験がほとんどありませんでした。インターネットの資料を引っ張り、なんとかして自分に覚えさせようと教育をして頂きました。

そして5月の終わり、D主任は現場に戻ることとなり、代わりに手が空いたT課長が1ヶ月半ほど教育をする事となりました。

 

しかし、この1ヶ月半、理不尽の連続に襲われ、自分のメンタルのを抉り続けました

 

3.入社1ヶ月半~3ヶ月(6月末まで)

このT課長に変わってから1ヶ月半ほど教育を受けたんですけど、教育の半分ほどの時間が説教でした。

むちゃくちゃ説教と怒られてばっかで死にそうになりながら教育を受けましたが正直8割くらい何を言われたか覚えていないのです。

さすがに5ヶ月も経ったし、ADHDの自分には怒られていることに対して考えちゃうので話の内容に集中出来ないのであまり頭に入らないのです。

 

その中でも特にはっきり覚えている事を抜粋して書き出します。

 

1.手抜きをするな

教育初日、D主任に教えられた事がちゃんと頭に入っているかを確かめる為に、「工事の内容別に必要な道具・材料を書き出すように」とわ言われました。

この工事にはこれがいる…この工事にはこの道具がないとできない………と言ったように書き出していきました。

3時間後必要だと思った道具、材料を全て書きだし、T課長に提出しました。

提出して課長が確認をしていたんですが、

T課長「この配管のサイズは?何がある?」

ますひろ「16.22.28…(サイズを述べる)」

T課長「なんでそこまで書かない?普通はそこまで全て書くんだよ?なんでそこまで書かないんや?理由を言うてみろや」

ますひろ「いや道具と材料と言われたのでそれを書きました。」

T課長「いや普通ならそこまで材料・サイズまで全部書くんだよ、じゃないと何がいるかが全部分からないだろ?手抜きをするな、お前のためにやってるんだからそんな横着するなよ?」

 

正直、言われた通りに道具と材料を書いただけなのに手抜きをするなまで言われる理由が何一つ理解できませんでした。

サイズを書けとまで言われなかったので書く必要なんてないって認識するしそんなこと言われても意味がわからないんですよね。

また、ADHDであることを把握している人間にとって「普通ならこうする」「それが普通だろ」みたいな言葉にはかなり敏感です。言われることによって「自分は普通じゃない、できない」って頭で無意識で負の要素として認識してしまう人もいます。自分もその1人です。

 

2.昼休憩

仕事には必ず休憩があります、昼は60分の休憩が設定されていました。

自分は20分で食事、20分スマホで何かしら見る、20分の仮眠を取るように時間を分けていました。

それで毎日休憩をとっていたんですが説教を受けている時にこんなことを言われました。

T課長「お前昼休憩にスマホ見て寝とるけどそんな余裕ないけんな?少しでも復習して頭に入れて早く1人前になって仕事出来るようにならないかんのやからな?休憩やけって寝る時間じゃなくて考えて使え」

 

昼休憩までそこまで縛られてないといけないんですか?正直ありえないと思ったしふざけんなって思いました。体を休めたり食事とったりする休憩をそんなんに嫌でも使わないと行けないって何?

結果、毎日昼休憩の20分くらい復習に当てられることになりました。何のための休憩なん?

 

3.退社

この会社の定時は17時30分でした。自分は定時になってからはやる事が特になかったので身の回りの整理と片付けをして5分後くらいには上がっていました。さすがにやる事も無いのに会社に残るのは時間の無駄です。帰ったら仕事のことは考えずに自由な時間になるのです。あのじじぃが文句を言うまでは。

説教の時に休憩とか会議についてとかの文句も行ってきたのですがこれについても言われました。

T課長「この会社の定時は17時30分やけどな、現場から帰ってきたら定時過ぎてしまうしその後に書類や翌日の工事の準備をするんや、みんなやる事やってからちゃんと帰るんや。お前は?いつも定時でなにもせず帰っとるやろが?教育の復習は?ちゃんとしてないだろ?定時になってもすぐ帰れると思うなよ?」

 

バカじゃねぇの。定時になったらそりゃ普通は帰るやろ????

何を当たり前のことをして怒られないといけないんですか??

この説教から少なくとも6月末までの教育期間はT課長の監視の目もあり18時までは復習に費やすこととなり帰れなくなりました。

これで朝30分早出、30分居残りになりました。どっちももちろんサービス残業です。毎日1時間、給料の出ない時間が生まれてしまいました。

正直もうしんどかったです。

 

4.ADHDに対して

教育中、ADHDであった自分は手順の違いやミス、物忘れを起こしてしまいます。その上言われたことすらすぐ頭に抜けてたり、誤認識したまま物事を進めたり…そのような注意欠陥が度々起きてしまいます。その度に起きる度に理不尽に怒られ、説教の山。かなり心に来ました。

「なんで言われた通りにしないのか?」

「さっき言われたことをもう忘れたんか」

「分からないことは聞けって言っただろ」

このような事を散々言われ続け、酷い時には

「お前はバカだ」

「そんなん出来んとかやっぱお前はおかしいよ」

「常識ってものがお前にはない」

なんて事まで言われていました。

こうならないように一生懸命工夫してどうにか上記のような注意欠陥を起こさないように努力したんですが、実際どんな事をしても、注意欠陥は意識の外からやってきてしまうのです。無意識のうちにしてしまうのでなんでしなかったのと言われても分からないのです。

自分自身もよく「なんでそんなことしたのか」や「なんでそんな大事なことをしなかったの」とよく怒られていたのですが、無意識にやってしまう事なのでなんでと言われても答えることができませんでした。今もその様に怒られたら答えることが全くと言っていいほど出来ません。

 

この様な毎日を過ごして毎日泣きながら耐えていたいたある日、遂に限界が来て打ち明ける事にしたのです、

そしたらT課長の反応は

T課長「そりゃ前々からおかしいと思ってたのはそのせいだったのか」といい少しは考えると言われました

少しは楽になるかなと思っていたのですが

全く状況は変わりませんでした。

それどころかT課長は障害ではなくただの病気と捉えていた上に

T課長「そんな病気、日頃から意識し続けてたら直ることやろが、それが出来んけお前はそんな頭の病気になってるんだろ」

と言われ最終的には

T課長「ADHDとかいう障害だか病気だかしらんが、お前以外の人間だって肝臓や腎臓等の持病を抱えながら毎日頑張って仕事してるんだよ。お前もその中の一人ってだけだ。甘えた事言ってんじゃねぇぞ、いい加減にしろや」

とまで言われました。

もう無理でした。このT課長という人間は理解してくれようともしない人間なんだなと思いました。そしてこの日以降、会社でADHDである事を表に出そうとするのはやめてしまいました。言うだけ無駄だと思いました。

自分自身も「所詮は病気、直らないのは自分が意識してないだけ」と思う事がありました。

 

他にも書きたいことは大量にあるのですがこれ以上は書くのも読むのもしんどいと思うので(そもそもこのブログが長い)割愛します。

 

T課長との教育期間中の自分のSNSです。毎日こうやって愚痴を吐きまくってどうにか耐えていました。
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こうして6月末までの教育期間を何とか耐え、7月からは現場に行くことになりました。

T課長と一緒になることは当分ないとの話だったのでしばらくは関わる事もほぼないだろうし心も体も少しは楽になるだろうと思っていました。

 

しかし、楽になるどころか心も体もより重くなってしまうのです。

 

4.入社3ヶ月〜5ヶ月

こうして心も体もボロボロにされながら新入社員の試用期間かつ教育期間であった3ヶ月を迎え、7月からは先輩であるM社員、上司であるS係長と、黒崎駅の裏にある化学工事の構内にある工業所に行き、工業所のメンバーと共に仕事をすることになりました。

しかし、ここでも色々と理不尽な点やコミュニケーションの問題が立ちはだかりました。

 

1.出社、退社時間の問題

会社の勤務時間は8時30分から17時30分ですが、現場に行く日の会社への集合は6時40分でした。定刻よりも1時間50分も早い時間に出社しなければなりませんでした。

しかも、この1時間50分も早く出社してるにも関わらず、残業は一切付けられることはありませんでした。バカじゃないの。

ちなみに法律ではこのようにされておりこの時間は残業になる時間なのです。
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8時30分に出社しても6時40分に出社しても貰える給料が同じ。バカな話じゃありませんか?僕はバカな話だと思います。

5時に工業所を出て帰宅するのですが、黒崎と近かったので現場から帰宅する頃には定時丁度になっていました。

しかし、T課長の監視があるために定時で帰ることは不可能に近い上に誰かが帰るまで退社できる雰囲気には一切ならなかった為、誰かが帰るまで30分程度の居残りを毎日していました。

結果6時40分出社の18時退社、残業0のサービス残業2時間20分の日常が7月から始まりました。こんだけ早く出させられ残されて残業0なんだからしんどいったらありゃしない。これでよく転職サイトに残業10時間以内とかほざいてるよなぁこの会社。

 

2.M社員の圧

事業所では基本的に工業所の一部のメンバーと、M社員、また会社の下請けの2人で現場を移動して作業していました。

毎日共にして仕事をしていたのですがこの社員がまた自分にひたすらキツく当たります。

加工場では金属の板や鋼材を加工する作業に分担されていました。

ここでADHDの人間の特性なのですが、

・指示された作業に対しては一生懸命に取り組みます。

・基本的にひとつの事をしながら別の事をする事が苦手です。

・つまり作業に集中するとほかの事を考えている余裕がなくなります。

自分もADHDなのでもちろんこのような特性を持っています。新入社員教育でもこの点でT課長にかなりボコボコに言われていました。

そしてこのM社員もこのような言葉を投げかけてきます。

M社員「お前、こうすればもっと楽に作業ができるだろうが、お前ほんっとに頭が悪いなぁ!」

頭が悪いとか余計な事言われるのマジで精神的にしんどかったです。この社員、毎日3回くらい頭が悪いって言ってきました。マジで殺意沸くレベルで頭来てました。

こっちだって一生懸命に仕事してるのになんで頭が悪いなんて言われなきゃ行けないんですか???マジで気分も悪くなるし心に刺さリまくって仕事どころじゃありませんでした。

これだけじゃありません、工業所の人やS係長のいる所であえて大声で怒鳴るような事までしてきました。

M社員「お前マジでそんなことまで知らないとかマジでやべぇぞ?その辺の若いやつ寄り常識が無いなぁ!今まで見てきたやつでこんな奴初めてだぞ!ぶちくらすぞマジで」

もうこんなこと言われたその日はずっと泣いてました。マジで仕事中も頭から離れることがなく泣きながら仕事してたのを今でも覚えています。

こんな事を言われ続け、ビクビクしながら仕事をしていました。毎日恐怖しかなかった。

 

3.沸点が死ぬほど低いS係長

作業予定によって他の作業の人が足りなかった時に応援に行くのですが、その時は基本的にS係長のいる現場に応援に行く事がほとんどでした。

S係長は会議とかでちょっと不明、不足点があったときは補足で説明してくれることがありました。現場で一緒になるまではまともな人間だと思っていました。

ここでもなんですがADHDの人間の特性として

・人間の声が聞き取りにくい

・1度の説明で物事を整理できない為、分かるまで聞き直す必要がある

割と信じ難いと思いますがこれが事実で、周りの騒音とかが大きく聞こえて人間の声が聞き取りにくくなってしまうのです。原因は分かりませんが、ADHD発達障害の人間にはその傾向がある人間が多いのです。(聴覚障害の場合もあるのでこれが事実かどうかはハッキリとはわからないです)

これがS係長と現場で作業するとなると

S係長「ここにきた道具をこっち側に持っていってくれ」

ますひろ「すいません、どこに持っていくかききとれませんでした、もう1回お願いします。」

S係長「だからこっち側に持ってけっていってんだよ!!!!!!!」

2回目は怒鳴られてしまいます。どういうこと?

基本的に聞き直しをしないと頭で整理できなくなる人間なのでS係長と現場になると高確率で怒鳴られます。不可能すぎだろ。

聞き直すだけで怒鳴るし分からないことがあると「教育でしてないんか?」とか言われるし「おいお前」みたいな呼び方しかしてくれなかったです。むちゃくちゃにも程がある。

 

4.車の運転

会社から現場に移動する時は会社の車を利用します。この会社はケチだったので基本的にMT車しかありませんでした。

MTで免許を取ったとはいえ、一度に複数の動作をするのが苦手なADHDの自分にとって、MTのクラッチ操作、ギア操作はかなり苦痛でしんどい操作になります。なんで卒検通ったのか不思議に感じるレベル。

そして、実際に移動時に自分が運転する出番がやってきました。ところが運転中はM社員、S係長も運転中に圧をかけてきます。頭の中は常に混乱しており運転もスムーズに行きませんでした。

その当時メモに残したものがこちらです。 

たまたまS係長が休みでしたがいてもいなくてもだいたいこのような感じです。
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また坂道などで「3速で速度出して切り替える」みたいな時に速度を上げている時にS係長が「さっさとギア変えろや」って言って勝手に助手席から無理やり4速に変えられたりして余計にパニックになってしまいました。

運転の練習なのにこれじゃ全然上達するものも上達しません。

 

5.レポート

なんとか気合いだけで頑張って過ごしていた自分ですが、朝も早くなったおかげで睡眠時間を上手く確保できないのが現状にありました。

昼休憩はT係長の監視もなく社員は各自で休み時間を過ごしているため自分も昼休憩時間は仮眠に費やしていました。工業所は昼休憩が50分ありそのうち30分を仮眠を取り無理やり体の回復に務めました。

しかしそのような自由な昼休憩も3週間ほどだった時期から無くなってしまいました。

理由はある日の課内会議に言ったT課長の一言でした。

T課長「お前がちゃんと仕事してるのかが俺には分からないから来週からレポートをかけ何時にこの作業に何人で入り自分はこれをやったまで細かく書くこと。いいな?」

 

やだよ。

 

なんて言えることもなくレポートを毎日提出することになりました。 

レポートってどんな書き方しなきゃ行けなかったって言うと

10:00 メンバー〇名で〇〇エリアの〇〇室に行き〇〇〇〇〇〇の作業を実施。

・自分の行った作業

1.〇〇〇〇の制御盤を支え〇〇〇〇氏がボルトを入れる。

2.〇〇室から〇〇室に〇〇〇氏と〇〇〇氏と3名でケーブルを引っ張った。

・ 

以下略

 

これです。ちなみに普通に書くとA4用紙3枚埋まります。マジでダルいったらありゃしないし、2枚とかだと手抜きって言われます。ありえんだろ。

これを書くことにより昼休みの睡眠時間は全部消滅、帰宅時間も18時を超えてしまうことがほとんどでした。休憩時間に体を休める時間が全く無くなったのです。

 

こうして毎日クタクタになりながら仕事をし、地獄のようなレポートを書く毎日が続いていきました。仕事の休みも少なく体は休みの日も常に疲弊状態、ストレスもいつも限界まで来ており、同棲している彼女や物に当たる事がかなり増え人間的にもかなり酷くなっていました。スマホも3回くらい画面割ったしストレスで壁殴って傷入れたりまでしました。もう心も体も限界です。

 

さすがに一家の父になる予定になっている自分が仕事をやめて無職になったらマズイので転職サイトを利用して転職をしようと考えていましたが、そんなことする余力なんて僕にはもう残っていませんでした。

 

ちなみにすごい強かった台風が9月に来たじゃないですか?あの日、さすがにやばいということで工業所は休みだったんですよ。でもね

T課長「工業所明日休みか。でもウチは出勤やけどねw」

ほんとに言ってんのかこの会社??

結局バスも電車も何もかも止まっているにも関わらず車で通勤しました。マジでありえんだろ。

 

5.退職を決断した日

なんとか毎日身も心もボロボロになり毎日どこかで泣きながらも頑張ってきましたが、限界の日が来てしまいました。

そのきっかけとなったのは朝、現場に行く時、いつものように2人から圧をかけられ続けビクビクしながら運転して現場に向かってた時の事です。

現場についてバック駐車をする時、ブレーキを踏むタイミングが少し遅れてしまいぶつかりそうになった時です。

S係長がハンドブレーキを上げ、直後にこう言いました

 

 

 

S係長「お前、殺すぞ」

 

 

もう限界でした。心も体もボロボロな自分にトドメを刺されました。この一言で完全に折れてしまった自分は 

 

9月15日、その日の夜に退職代行を弁護士に依頼し、翌日退職しました。

 

6.その後

その後、無職になり仕事を探して居ましたが、友人の親の紹介のおかげもあり11月1日に無事に再就職し、新しい職場で活き活きと仕事をすることが出来ています。

1ヶ月半、無職になってましたがその間でみんなの協力もあり、ボロボロになった自分の心と体も十分にケアでき心身ともにいい状態で毎日を生活出来ています。紹介してくれた人にはほんとに感謝しかない。

 

7.終わりに

この半年は自分にとっては最悪な半年間でした。

もし、このまま仕事を続けていたら精神的に追いやられ辞める前に死んでしまってた気がします。死ぬ前に仕事を辞める決断をしてほんとに良かったって今では思っています。

 

長くなりましたが、最後まで見ていただきほんとうにありがとうございました。